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海蔵寺


由緒

作成:2004年04月22日
更新:2005年05月26日

扇谷山 海蔵寺(かいぞうじ)

海蔵寺は鎌倉の扇ヶ谷の北、風光明媚な渓間にある臨済宗建長寺派の古刹です。もと真言宗の寺跡であるこの渓に、建長五年(1253)宗尊親王の命によって従五位前能州太守藤原仲能が本願主となり、七堂伽藍が再建された。

しかし、元弘三年(1333)鎌倉幕府滅亡のおりに鳥有に帰した後、応永元年(1394)四月、鎌倉御所足利氏満の命により上杉氏定が再建したのが、海蔵禅寺である。氏定は源翁禅師(げんのうぜんじ)(心昭空外)を開山に招いて菩提寺とした。天正五年(1577)建長寺に属し今日に至っている。

仏殿(薬師堂)は安永五年(1776)浄智寺から移築し、翌年入仏供養を行った。

薬師三尊像、十二神将像、伽藍神像などを安置する。
薬師如来像は、仏殿の本尊で、別に啼薬師(なきやくし)・児護薬師(こもりやくし)ともいい、胎内には土中から発掘されたという古い仏面を納めている。

開山源翁禅師は心昭空外といい、那須野の殺生石(せっしょういし)の伝説がある。禅師は越前の人で、福島会津の示現寺に二十六年間止住したのち、建長時の大覚禅師に参禅・修学、海蔵寺の再建のおり開山に迎えられた。

■殺生石の伝説
昔、鳥羽天皇が奇怪な病気に悩まされた原因が寵姫玉藻(たまも)の前に化けていた白狐の仕業とわかるや、白狐は東国下野(しもつけ)那須野に逃走した。天皇は、三浦義明にこれを殺させたが、後に白狐の霊は石と化して人々を苦しめた。石にさわったすべての生物が死んでしまうので、人々はこれを殺生石とよんで恐れた。

開山禅師が、那須野におもむくと殺生石の辺りには白骨が山のようになっていた。禅師が経文をとなえながら念力をこめた杖で石に一撃を加えると、石は砕け散り、石の霊は成仏して人々は安穏に暮らすことができたという。かなずちを玄能(げんのう)というのは源翁(げんのう)禅師のこの伝説に由来するといわれる。

--- 拝観の「しおり」より引用 ---

 

写真

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