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浄妙寺


由緒

作成:2004年03月17日

稲荷山 浄妙寺(じょうみょうじ)

この寺は稲荷山と号し、鎌倉五山第五位の寺格をもつ臨済宗建長寺派の古刹。
源頼朝の忠臣で剛勇の士であった足利義兼(1199没)が文治四年(1189)に創建し、初め極楽寺と称した。

開山は退耕行勇律師で、当初は密教系の寺院であったが、建長寺開山蘭渓道隆の弟子月峯了然が住職となってから禅刹に改め、寺名も浄明寺とした。寺名を改称したのは、正嘉年間(1257〜1259)とみられる。

歴代住職には、約翁徳倹、高峰顕日、竺仙梵僊、天岸慧広など名僧が多い。

中興開基は足利尊氏の父貞氏で、没後当寺に葬られた。至徳三年(1386)足利義満が五山の制を定めた頃は七堂伽藍が完備し、塔頭二十三院を数えたが、火災などのため漸次衰退し、現在は総門、本堂、客殿、庫裡等で伽藍を形成している。境内は、国指定史跡。

行勇律師略伝
行勇律師(1163〜1241)は、相模国酒勾(さかわ/小田原市)の人で、初名は源信、壮厳房と称した。幼くして薙髪出家し、真言密教を学んだ。養和元年(1181)には鶴岡八幡宮寺の供僧となり、ついで永福寺、大慈寺の別当にも任じ、文治元年(1199)栄西が鎌倉に下向すると、その門に入って臨済禅を修め、栄西没後は寿福寺二世に任じた。頼朝や政子に信任されて戒を授ける一方、「所住の寺、海衆満堂」といわれるほど信望され、実朝もあつく帰依した。仁治二年七月、東勝寺で没した。

主な仏像など
木造 退耕行勇律師坐像(重要文化財)

--- 拝観の「しおり」より引用 ---

 

写真

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