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宝戒寺


由緒

作成:2004年03月17日

鎌倉地蔵尊二十四番札所霊場第一番
鎌倉観世音三十三番札所霊場第二番
鎌倉大聖天
北条九代跡
鎌倉江の島七福神毘沙門天

天台宗 金龍山 宝戒寺(ほうかいじ)

天台宗の寺院、金龍山釈満院円頓宝戒寺と称される。
開基は後醍醐天皇(1288〜1339)、開山は天台座主五代国師円観恵鎮慈威和上(五人の帝の戒士となったので五代国師を朝廷より授けられる/1281〜1356)で、建武二年(1335)に創建された。

この寺は北條義時が小町邸を造って以来北條執権の屋敷となり、元弘三年(1333)五月二十二日北條九代滅亡後その霊を慰めるため、叉、国宝的人材を養成修業させる道場として後醍醐天皇が足利尊氏に命じこの屋敷跡に建立させた寺である。

開山の慈威和上は、当山を円頓大戒(金剛宝戒ともいい、梵網菩薩戒経所説の十重四十八軽戒を戒相とする大乗戒)と天台密教(台密)の大法関東弘通の道場として戒壇院を置き、加賀白山の薬師寺、伊豫の等妙寺、筑紫の鎮弘寺と共に遠国四箇の戒場といわれた。

二世世普国師惟賢和上は国家鎮護のため和合仏である歓喜天尊像(聖天様)を造立し特殊な修法を定めてひたすら鎮護国家を祈念した。

天文七年(1538)七堂伽藍を全て焼失する。江戸時代に入り、天海大僧正は宝戒寺は関東における天台律宗の本寺である故、寺の維持相続の保護を徳川家康に懇願した。
当寺は、円頓戒壇として、また四宗兼学の道場として現在に至っている。

主な仏像など
本尊 子育経読地蔵大菩薩 三條法印憲円作(国宝、重要文化財)
本堂 普川国師惟賢和上座像(重要文化財)

--- 拝観の「しおり」より引用 ---

 

写真

宝戒寺1 宝戒寺2 宝戒寺3  
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