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古代史を考える

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kd03-01 古事記の分注崩年干支について考える

 

[古事記の分注崩年干支について考える]

作成:2012年07月15日
更新:2012年09月23日

ようやく古事記データベースが完成したので、いよいよこれからこのデータを元に色々な考察を行っていこうと思っています。で、まずは古事記分注に記載されている天皇の崩年干支がいつの時代なのかを考えてみることにしました。古事記と日本書紀を比べた時、その編纂方針には大きな違いがあります。そのひとつが天皇の年代を特定する在位年代に関するデータです。日本書紀の方は各天皇の在位元年、在位年数、在位末年をすべて網羅しています。真実かどうかは極めて疑わしいですが、形式的には完全な形です。

一方古事記の方は、崩御年齢や在位年数の一部分が本文中に書かれている一方、非常に特徴的なことは、一部天皇の崩御年(干支)が分注の形式で書かれていることです。いったいこれは何を意味するのでしょうか。分注は後から誰かが付け加えたものなのか、あるいは初めから書かれたものなのか。初めから書かれたものだとしたら、何故本文に書かずに分注にしたのかなど、いろいろな疑問が湧きます。

これらの疑問に対する考察はとりあえず置くとして、古事記の分注崩年干支は西暦年に置き換えるといったい何年になるのか、それを日本書紀と比較するとどんな答えが出てくるのか、それが今回の考察の目的です。
 

干支紀年と西暦年の関係

初歩的な事ですが、基本的な知識なので、まず最初に干支紀年と西暦年の関係について簡単に触れておきます。

<表1>干支紀年と西暦年の関係
干支西暦年
辛酉-660-600-540-480-420-360-300-240-180-120-60161121181241301361421481541601
壬戌-659-599-539-479-419-359-299-239-179-119-59262122182242302362422482542602
癸亥-658-598-538-478-418-358-298-238-178-118-58363123183243303363423483543603
甲子-657-597-537-477-417-357-297-237-177-117-57464124184244304364424484544604
乙丑-656-596-536-476-416-356-296-236-176-116-56565125185245305365425485545605
丙寅-655-595-535-475-415-355-295-235-175-115-55666126186246306366426486546606
丁卯-654-594-534-474-414-354-294-234-174-114-54767127187247307367427487547607
戊辰-653-593-533-473-413-353-293-233-173-113-53868128188248308368428488548608
己巳-652-592-532-472-412-352-292-232-172-112-52969129189249309369429489549609
庚午-651-591-531-471-411-351-291-231-171-111-511070130190250310370430490550610
辛未-650-590-530-470-410-350-290-230-170-110-501171131191251311371431491551611
壬申-649-589-529-469-409-349-289-229-169-109-491272132192252312372432492552612
癸酉-648-588-528-468-408-348-288-228-168-108-481373133193253313373433493553613
甲戌-647-587-527-467-407-347-287-227-167-107-471474134194254314374434494554614
乙亥-646-586-526-466-406-346-286-226-166-106-461575135195255315375435495555615
丙子-645-585-525-465-405-345-285-225-165-105-451676136196256316376436496556616
丁丑-644-584-524-464-404-344-284-224-164-104-441777137197257317377437497557617
戊寅-643-583-523-463-403-343-283-223-163-103-431878138198258318378438498558618
己卯-642-582-522-462-402-342-282-222-162-102-421979139199259319379439499559619
庚辰-641-581-521-461-401-341-281-221-161-101-412080140200260320380440500560620
辛巳-640-580-520-460-400-340-280-220-160-100-402181141201261321381441501561621
壬午-639-579-519-459-399-339-279-219-159-99-392282142202262322382442502562622
癸未-638-578-518-458-398-338-278-218-158-98-382383143203263323383443503563623
甲申-637-577-517-457-397-337-277-217-157-97-372484144204264324384444504564624
乙酉-636-576-516-456-396-336-276-216-156-96-362585145205265325385445505565625
丙戌-635-575-515-455-395-335-275-215-155-95-352686146206266326386446506566626
丁亥-634-574-514-454-394-334-274-214-154-94-342787147207267327387447507567627
戊子-633-573-513-453-393-333-273-213-153-93-332888148208268328388448508568628
己丑-632-572-512-452-392-332-272-212-152-92-322989149209269329389449509569 
庚寅-631-571-511-451-391-331-271-211-151-91-313090150210270330390450510570 
辛卯-630-570-510-450-390-330-270-210-150-90-303191151211271331391451511571 
壬辰-629-569-509-449-389-329-269-209-149-89-293292152212272332392452512572 
癸巳-628-568-508-448-388-328-268-208-148-88-283393153213273333393453513573 
甲午-627-567-507-447-387-327-267-207-147-87-273494154214274334394454514574 
乙未-626-566-506-446-386-326-266-206-146-86-263595155215275335395455515575 
丙申-625-565-505-445-385-325-265-205-145-85-253696156216276336396456516576 
丁酉-624-564-504-444-384-324-264-204-144-84-243797157217277337397457517577 
戊戌-623-563-503-443-383-323-263-203-143-83-233898158218278338398458518578 
己亥-622-562-502-442-382-322-262-202-142-82-223999159219279339399459519579 
庚子-621-561-501-441-381-321-261-201-141-81-2140100160220280340400460520580 
辛丑-620-560-500-440-380-320-260-200-140-80-2041101161221281341401461521581 
壬寅-619-559-499-439-379-319-259-199-139-79-1942102162222282342402462522582 
癸卯-618-558-498-438-378-318-258-198-138-78-1843103163223283343403463523583 
甲辰-617-557-497-437-377-317-257-197-137-77-1744104164224284344404464524584 
乙巳-616-556-496-436-376-316-256-196-136-76-1645105165225285345405465525585 
丙午-615-555-495-435-375-315-255-195-135-75-1546106166226286346406466526586 
丁未-614-554-494-434-374-314-254-194-134-74-1447107167227287347407467527587 
戊申-613-553-493-433-373-313-253-193-133-73-1348108168228288348408468528588 
己酉-612-552-492-432-372-312-252-192-132-72-1249109169229289349409469529589 
庚戌-611-551-491-431-371-311-251-191-131-71-1150110170230290350410470530590 
辛亥-610-550-490-430-370-310-250-190-130-70-1051111171231291351411471531591 
壬子-609-549-489-429-369-309-249-189-129-69-952112172232292352412472532592 
癸丑-608-548-488-428-368-308-248-188-128-68-853113173233293353413473533593 
甲寅-607-547-487-427-367-307-247-187-127-67-754114174234294354414474534594 
乙卯-606-546-486-426-366-306-246-186-126-66-655115175235295355415475535595 
丙辰-605-545-485-425-365-305-245-185-125-65-556116176236296356416476536596 
丁巳-604-544-484-424-364-304-244-184-124-64-457117177237297357417477537597 
戊午-603-543-483-423-363-303-243-183-123-63-358118178238298358418478538598 
己未-602-542-482-422-362-302-242-182-122-62-259119179239299359419479539599 
庚申-601-541-481-421-361-301-241-181-121-61-160120180240300360420480540600 
   日本書紀や古事記では年代を特定するのに干支紀年が用いられています。干支紀年というのは、十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)を年毎にひとつずらしで組み合わせて年を特定する方法ですが、詳しいことは Wikipedia などを参照していただくとして、西暦年との対応は左の<表1>のようになります。年を特定すると言っても干支紀年は60年周期で同じ干支の組み合わせがめぐってくるので、干支から西暦年を一意的に決定することはできません。

古事記の場合、分注という形で天皇の崩御年が干支で記述されています。これは古事記分注崩年干支と言われるものですが、一部の天皇についてだけしか記述されていません。

一方、日本書紀の方は天皇毎に在位元年の干支、在位年数、在位末年の干支がきっちりと記述されており、基準となる天皇の在位元年、または在位末年が西暦年で特定できると、神武天皇まで遡って西暦年での年代が判ることになります。左の<表1>は、推古天皇在位末年を戊子(西暦628年)とした時、神武天皇即位が辛酉(紀元前660年)になるので、この間の干支と西暦年を表しています。

注:日本書紀では持統天皇まで記述されているので、推古天皇を基準にしたかどうかは判りませんが、古事記の方は推古天皇までしか記述がないため、両者を比較するには推古天皇を基準にするのが妥当と考えました。

 

日本書紀における天皇の年代

古事記の分注崩年干支の西暦年を推定するために、まず日本書紀に記載された天皇の在位年数、在位元年、在位末年を表にしました。

<表2>日本書紀における天皇の年代
天皇在位
年数
在位元年在位末年
代数名前干支西暦年干支西暦年
1神武天皇ジンム76辛酉-660丙子-585
 空位 3丁丑-584己卯-582
2綏靖天皇インゼイ33庚辰-581壬子-549
3安寧天皇アンネイ38癸丑-548庚寅-511
4懿徳天皇イトク34辛卯-510甲子-477
 空位 1乙丑-476乙丑-476
5孝昭天皇コウショウ83丙寅-475戊子-393
6孝安天皇コウアン102己丑-392庚午-291
7孝霊天皇コウレイ76辛未-290丙戌-215
8孝元天皇コウゲン57丁亥-214癸未-158
9開化天皇カイカ60甲申-157癸未-98
10崇神天皇スジン68甲申-97辛卯-30
11垂仁天皇スイニン99壬辰-29庚午70
12景行天皇ケイコウ60辛未71庚午130
13成務天皇セイム60辛未131庚午190
 空位 1辛未191辛未191
14仲哀天皇チュウアイ9壬申192庚辰200
 神功皇后ジングウ69辛巳201己丑269
15応神天皇オウジン41庚寅270庚午310
 空位 2辛未311壬申312
16仁徳天皇ニントク87癸酉313己亥399
17履中天皇リチュウ6庚子400乙巳405
18反正天皇ハンゼイ5丙午406庚戌410
 空位 1辛亥411辛亥411
19允恭天皇インギョウ42壬子412癸巳453
20安康天皇アンコウ3甲午454丙申456
21雄略天皇ユウリャク23丁酉457己未479
22清寧天皇セイネイ5庚申480甲子484
23顕宗天皇ケンゾウ3乙丑485丁卯487
24仁賢天皇ニンケン11戊辰488戊寅498
25武烈天皇ブレツ8己卯499丙戌506
26継体天皇ケイタイ25丁亥507辛亥531
 空位 2壬子532癸丑533
27安閑天皇アンカン2甲寅534乙卯535
28宜化天皇センカ4丙辰536己未539
29欽明天皇キンメイ32庚申540辛卯571
30敏達天皇ビダツ14壬辰572乙巳585
31用明天皇ヨウメイ2丙午586丁未587
32崇峻天皇スシュン5戊申588壬子592
33推古天皇スイコ36癸丑593戊子628
 年数合計1288 
   <表2>は、日本書紀における天皇(神武天皇〜推古天皇)の在位年数、在位元年の干支、在位末年の干支を元に天皇の年代を西暦年に換算したもので、数値上の矛盾はありません。これが日本の古代史の真実を表しているかどうかはもちろん別問題です。初代の神武天皇の在位期間、紀元前660年〜585年は縄文晩期(炭素年代測定法では、弥生前期中葉)で、この時代に神武天皇が大和を制圧して統治したとはとても考えられません。神武天皇の即位年については、辛酉革命説(1260年に一度、辛酉の年には大革命があるという中国の説)に基づいて、推古天皇9年(601年)に、この年の1260年前である紀元前660年を神武天皇即位年としたとする説があり、神武天皇の即位年は恣意的に決められたと考えるのが妥当であると思います。

<表2>について、もう一つ、あえて書くなら、その基準となる推古天皇の実在とその西暦年代がどこまで証明されているかです。その手掛かりは日本書紀・推古天皇15年、16年の記述と「隋書」倭国伝の記述です。詳しいことは別の機会に述べるとして、厳密に比較するとこれらが完全に同一の出来事を記述したものと言うには、いくつかの疑問が残ります。しかし、概ね内容が合致しているので、日本書紀の推古天皇、小野妹子、聖徳太子等に関する記述はほぼ事実であろうと判断するのが妥当のように思います。ただし、日本書紀と中国文献とのおおよその合致だけが唯一の根拠なので、未だ証明は完全ではないと言えるでしょう。推古天皇の陵墓の発見と科学的な年代の特定が望まれるところです。

 

古事記と日本書紀の天皇在位年関連データ比較

次に、古事記と日本書紀の天皇在位に関連するデータを表にしてみました。

<表3>古事記と日本書紀の天皇在位年関連データ比較
天皇古事記日本書紀
代数名前崩御
年齢
在位
年数
分注崩
年干支
在位
年数
在位
元年
在位
末年
1神武天皇ジンム137  76辛酉丙子
2綏靖天皇インゼイ45  33庚辰壬子
3安寧天皇アンネイ49  38癸丑庚寅
4懿徳天皇イトク45  34辛卯甲子
5孝昭天皇コウショウ93  83丙寅戊子
6孝安天皇コウアン123  102己丑庚午
7孝霊天皇コウレイ   76辛未丙戌
8孝元天皇コウゲン   57丁亥癸未
9開化天皇カイカ   60甲申癸未
10崇神天皇スジン168 戊寅68甲申辛卯
11垂仁天皇スイニン   99壬辰庚午
12景行天皇ケイコウ   60辛未庚午
13成務天皇セイム95 乙卯60辛未庚午
14仲哀天皇チュウアイ   9壬申庚辰
 神功皇后ジングウ   69辛巳己丑
15応神天皇オウジン130 甲午41庚寅庚午
16仁徳天皇ニントク83 丁卯87癸酉己亥
17履中天皇リチュウ64 壬申6庚子乙巳
18反正天皇ハンゼイ60 丁丑5丙午庚戌
19允恭天皇インギョウ78 甲午42壬子癸巳
20安康天皇アンコウ   3甲午丙申
21雄略天皇ユウリャク124 己巳23丁酉己未
22清寧天皇セイネイ   5庚申甲子
23顕宗天皇ケンゾウ388 3乙丑丁卯
24仁賢天皇ニンケン   11戊辰戊寅
25武烈天皇ブレツ   8己卯丙戌
26継体天皇ケイタイ43 丁未25丁亥辛亥
27安閑天皇アンカン  乙卯2甲寅乙卯
28宜化天皇センカ   4丙辰己未
29欽明天皇キンメイ   32庚申辛卯
30敏達天皇ビダツ 14甲辰14壬辰乙巳
31用明天皇ヨウメイ 3丁未2丙午丁未
32崇峻天皇スシュン 4壬子5戊申壬子
33推古天皇スイコ 37戊子36癸丑戊子
   <表3>は、古事記に記述された、天皇の崩御年齢、在位年数と分注崩御年干支を前記<表2>の日本書紀に記述された在位年数、在位元年の干支、在位末年の干支と比較対照したものです。ここで注目したいのは、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の3天皇に関しては、古事記分注崩年干支と日本書紀の在位末年干支が一致していることと、在位年数が±1年の範囲で一致している点です(在位年数は、天皇没年を当該天皇の在位期間とするか、次の天皇の在位期間とするか、両方の在位期間とするかで変わるので、±1年は誤差とみなせます)。すなわち、古事記分注崩年干支の西暦年を推定して日本書紀の天皇在位年と比較するうえで、推古天皇を基準にして逆算していっても、まちがいではないと言えるわけです。

 

古事記崩年干支の西暦年を求める

作成:2012年07月20日

前述したように、日本書紀の推古天皇末年干支と古事記崩年干支が一致しているので、これを基準に古事記崩年干支の西暦年を逆算していくことにする。前提として、崩御年をその天皇の末年とし、次の天皇は翌年を元年とした。崩御年をどちらの天皇の在位期間に入れるかは、前記したように、3通りあり得るが、いずれにしてもその誤差は±1年程度だから著しい誤差が生じることはないと言える。また日本書紀では天皇不在の空位年が存在するが、古事記崩年干支の西暦年計算においては、大きな誤差を生むものではないので、これを無視した。
以下、計算結果だけを記述すれば簡潔にはなるのだが、結果に到る前提と計算方法を詳しく記述することで、その妥当性を判断していただけると思い、煩雑ではあるが計算過程を詳述することにした。なお結果は<表4>にまとめているので、併せて参照してください。

推古天皇〜継体天皇末年

まず、推古天皇の古事記崩年干支は戊子で628年である。一代前の崇峻天皇の崩年干支は壬子で592年、従って推古天皇元年は翌年の593年となる。更に遡って用明天皇の崩年干支は丁未で587年、従って崇峻天皇元年は翌年の588年となる。更に遡って敏達天皇の崩年干支は甲辰で584年、従って用明天皇元年は翌年の585年となる。

さて次が問題である。欽明天皇、宜化天皇には崩年干支がなく、崩年干支は安閑天皇まで飛んでしまう。どのようにして、敏達天皇元年と欽明天皇、宜化天皇の在位年を推定するかというと、まず崩年干支のある安閑天皇の末年は乙卯で535年、従って宜化天皇元年は翌年の536年となる。ここで宜化天皇、欽明天皇、敏達天皇、三人の在位年数合計を求めると、宜化天皇元年536年、敏達天皇末年584年であるから、三人の天皇の在位年数合計は49年である。この49年を日本書紀の該当天皇の在位年数の比で按分することにする。この計算方法は多分筆者独自の手法と思うので「在位年数比例按分法」略して「按分法」と呼ぶことにする。

日本書紀の宜化天皇、欽明天皇、敏達天皇、三人の在位年数は各々4年、32年、14年で合計は50年である。従って、古事記崩年干支による宜化天皇の在位年数を「按分法」で計算すると 49*4/50=3.92 で4年となる。同様に、欽明天皇は 49*32/50=31.36 で31年、敏達天皇は 49*14/50=13.72 で14年となり、三人の合計在位年数は49年となる。各天皇の在位年数が求められたので、宜化天皇元年536年から計算して、宜化天皇末年は 536+4-1=539年、欽明天皇元年は540年、同末年は 540+31-1=570年、敏達天皇元年は571年となる。

次に安閑天皇の一代前の継体天皇末年の崩年干支は丁未で527年、従って安閑天皇元年は翌年の528年になる。これで推古天皇から継体天皇末年まで遡ることができた。

継体天皇〜応神天皇末年

継体天皇から更に代を遡ると、武烈天皇、仁賢天皇、顕宗天皇、清寧天皇には崩年干支がなく、雄略天皇に至って崩年干支がある。そこで清寧天皇〜継体天皇の5人の天皇の在位年数も「按分法」で求めてみる。まず雄略天皇末年は崩年干支が己巳で489年、またはそれより60年の倍数年古いことになる。ここでもうひとつ仮定をおくことにする。日本書紀の紀年は神武天皇即位を紀元前660年に合わせるため、恣意的に天皇の年代を間延びさせている可能性が高い。従って古事記崩年干支の西暦年を推定する場合、日本書紀の西暦年より若い(大きい)西暦年を採用するのが妥当であると考える。

この仮定に従うと、雄略天皇末年は489年である。となると、次の清寧天皇元年は翌年の490年である。清寧天皇、顕宗天皇、仁賢天皇、武烈天皇、継体天皇、5人の天皇の在位年数合計は、継体天皇末年527年、清寧天皇元年490年であるから、527-490+1=38年 である。一方、日本書紀の各々の天皇の在位年数は、5年、3年、11年、8年、25年で、合計は52年である。「按分法」を適用すると、清寧天皇の在位年数は 38*5/52=3.65年、顕宗天皇は 38*3/52=2.19年、仁賢天皇は 38*11/52=8.04年、武烈天皇は 38*8/52=5.85年、継体天皇は 38*25/52=18.27年となる。これを整数値にして合計値が38年になるように調整すると、清寧天皇の在位年数は4年、顕宗天皇は2年、仁賢天皇は8年、武烈天皇は6年、継体天皇は18年になる。これより各天皇の在位年を求めると、清寧天皇末年は493年、顕宗天皇元年は494年、同末年495年、仁賢天皇元年は496年、同末年503年、武烈天皇元年は504年、同末年509年、継体天皇元年は510年となる。

雄略天皇から更に代を遡ると、安康天皇には崩年干支がなく、更に1代前の允恭天皇に崩年干支がある。允恭天皇末年は崩年干支が甲午で454年、次の安康天皇元年は455年となる。安康天皇と雄略天皇の在位年数合計は35年、日本書紀の在位年数合計は26年。「按分法」を適用すると、安康天皇の在位年数は 35*3/26=4.04年、雄略天皇の在位年数は 35*23/26=30.96年となる。これを整数値にして合計値が35年になるように調整すると、安康天皇の在位年数は4年、雄略天皇は31年になる。これより、安康天皇末年は458年、雄略天皇元年は459年となる。

允恭天皇から更に代を遡ると、反正天皇、履中天皇、仁徳天皇、応神天皇まで続いて4人の天皇には崩年干支がある。反正天皇末年は崩年干支が丁丑で437年、允恭天皇元年は翌年の438年、続いて履中天皇末年は崩年干支が壬申で432年、反正天皇元年は翌年の433年、続いて仁徳天皇末年は崩年干支が丁卯で427年、履中天皇元年は翌年の428年となる。続いて応神天皇末年は崩年干支が甲午である。これを394年とするか60年遡って334年とするかが問題となるが、334年とすると、仁徳天皇元年が335年となり、仁徳天皇の在位年数が93年となる。しかし古事記の仁徳天皇崩御年齢83歳という記述を考慮すると、これは考えにくい。よって、応神天皇末年を394年とした。仁徳天皇元年は翌年の395年となる。これで応神天皇末年までが計算できた。

応神天皇〜崇神天皇末年

応神天皇から更に代を遡ると、神功皇后、仲哀天皇には崩年干支がなく、更に1代前の 成務天皇に崩年干支がある。成務天皇末年は崩年干支が乙卯で、355年とするか60年遡って295年とするかが問題になる。成務天皇に続く仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の在位年数を「按分法」で求めると(詳細は前記と同様なので省略)、成務天皇末年355年とした場合、仲哀天皇は3年、神功皇后は22年、応神天皇は14年である。一方、成務天皇末年を295年とした場合、仲哀天皇は8年、神功皇后は57年、応神天皇は34年である。これはどちらも否定しがたいので、そのまま二つの可能性を残すことにした。これを基に仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の在位年を求めた。
<成務天皇末年295年の場合><表4>A列 仲哀天皇元年は296年、同末年303年、神功皇后元年は304年、同末年360年、応神天皇元年は361年となる。
<成務天皇末年355年の場合><表4>B列 仲哀天皇元年は356年、同末年358年、神功皇后元年は359年、同末年380年、応神天皇元年は381年となる。

成務天皇から更に代を遡ると、景行天皇、垂仁天皇には崩年干支がなく、更に1代前の崇神天皇に崩年干支がある。崇神天皇末年は崩年干支が戊寅で、候補としては318年、258年、198年、138年、78年、....となる。 日本書紀では、この3人の在位年数合計が219年と驚くほど長く、これを最大値とすると、 成務天皇末年を355年とすると 355-219+1=137年、成務天皇末年を295年とすると 295-219+1=77年 であるから、成務天皇末年355年の場合は、崇神天皇末年は、318年、258年、198年、138年のいずれかとなる。また成務天皇末年295年の場合は、崇神天皇末年は、258年、198年、138年、78年のいずれかとなる。 そこで、これらをもとに垂仁天皇、景行天皇、成務天皇の在位年数を「按分法」で計算してみた。以下、古い年代から順に計算した結果である。

a. 成務天皇末年295年、崇神天皇末年78年の場合
  垂仁天皇 (295-78)*100/219=99.09年 99年
  景行天皇 (295-78)* 60/219=59.45年 59年
  成務天皇 (295-78)* 60/219=59.45年 59年
  合計               217年

b. 成務天皇末年295年、崇神天皇末年138年の場合
  垂仁天皇 (295-138)*100/219=71.69年 71年
  景行天皇 (295-138)* 60/219=43.01年 43年
  成務天皇 (295-138)* 60/219=43.01年 43年
  合計                157年

c. 成務天皇末年295年、崇神天皇末年198年の場合
  垂仁天皇 (295-198)*100/219=44.29年 44年
  景行天皇 (295-198)* 60/219=26.58年 27年
  成務天皇 (295-198)* 60/219=26.58年 26年
  合計                97年

d. 成務天皇末年295年、崇神天皇末年258年の場合
  垂仁天皇 (295-258)*100/219=16.89年 17年
  景行天皇 (295-258)* 60/219=10.14年 10年
  成務天皇 (295-258)* 60/219=10.14年 10年
  合計                37年

e. 成務天皇末年355年、崇神天皇末年138年の場合
  垂仁天皇 (355-138)*100/219=99.09年 99年
  景行天皇 (355-138)* 60/219=59.45年 59年
  成務天皇 (355-138)* 60/219=59.45年 59年
  合計                217年

f. 成務天皇末年355年、崇神天皇末年198年の場合
  垂仁天皇 (355-198)*100/219=71.69年 71年
  景行天皇 (355-198)* 60/219=43.01年 43年
  成務天皇 (355-198)* 60/219=43.01年 43年
  合計                157年

g. 成務天皇末年355年、崇神天皇末年258年の場合
  垂仁天皇 (355-258)*100/219=44.29年 44年
  景行天皇 (355-258)* 60/219=26.58年 27年
  成務天皇 (355-258)* 60/219=26.58年 26年
  合計                97年

h. 成務天皇末年355年、崇神天皇末年318年の場合
  垂仁天皇 (355-318)*100/219=16.89年 17年
  景行天皇 (355-318)* 60/219=10.14年 10年
  成務天皇 (355-318)* 60/219=10.14年 10年
  合計                37年

「a.」と「e.」は垂仁天皇の在位年数が 99年で、日本書紀の 99年と偶然一致するがこの在位年数は常識的な寿命範囲を越えるもので採用しがたい。従って、最長の在位年数157年を採れば「b.」か「f.」、中間の在位年数97年を採れば「c.」か「g.」、最短の在位年数37年を採れば「d.」か「h.」ということになる。これを基に在位年を計算すると以下のようになる。

<成務天皇末年295年の場合>
b. <表4> A列 x行  c. <表4> A列 y行  d. <表4> A列 z行
崇神天皇末年 138年  崇神天皇末年 198年  崇神天皇末年 258年
垂仁天皇元年 139年  垂仁天皇元年 199年  垂仁天皇元年 259年
垂仁天皇末年 209年  垂仁天皇末年 242年  垂仁天皇末年 275年
景行天皇元年 210年  景行天皇元年 243年  景行天皇元年 276年
景行天皇末年 252年  景行天皇末年 269年  景行天皇末年 285年
成務天皇元年 253年  成務天皇元年 270年  成務天皇元年 286年
成務天皇末年 295年  成務天皇末年 295年  成務天皇末年 295年

<成務天皇末年355年の場合>
f. <表4> B列 x行  g. <表4> B列 y行  h. <表4> B列 z行
崇神天皇末年 198年  崇神天皇末年 258年  崇神天皇末年 318年
垂仁天皇元年 199年  垂仁天皇元年 259年  垂仁天皇元年 319年
垂仁天皇末年 269年  垂仁天皇末年 302年  垂仁天皇末年 335年
景行天皇元年 270年  景行天皇元年 303年  景行天皇元年 336年
景行天皇末年 312年  景行天皇末年 329年  景行天皇末年 345年
成務天皇元年 313年  成務天皇元年 330年  成務天皇元年 346年
成務天皇末年 355年  成務天皇末年 355年  成務天皇末年 355年

古事記で崩年干支が記載されているのはこの崇神天皇までで、神武天皇〜開化天皇の年代と崇神天皇元年は推定のしようがないのは残念である。
とは言え、推古天皇から崇神天皇末年までがいくつかの選択肢を残して計算できた。結果を次の<表4>にまとめてみた。

<表4>古事記分注崩年干支による天皇の在位年シミュレーション
天皇日本書紀古事記記紀末年差
干支紀年在位年崩年在位元年在位末年在位年数
名前元年末年元年末年年数年齢干支(A)(B)(A)(B)(A)(B)(A)(B)
1神武天皇ジンム辛酉丙子-660-58576137         
2綏靖天皇インゼイ庚辰壬子-581-5493345         
3安寧天皇アンネイ癸丑庚寅-548-5113849         
4懿徳天皇イトク辛卯甲子-510-4773445         
5孝昭天皇コウショウ丙寅戊子-475-3938393         
6孝安天皇コウアン己丑庚午-392-291102123         
7孝霊天皇コウレイ辛未丙戌-290-21576          
8孝元天皇コウゲン丁亥癸未-214-15857          
9開化天皇カイカ甲申癸未-157-9860          
10崇神天皇スジン甲申辛卯-97-3068168戊寅  138(x)198(x)  168228
  198(y)258(y)  228288
  258(z)318(z)  288348
11垂仁天皇スイニン壬辰庚午-297099  139(x)199(x)209(x)269(x)71(x)139199
199(y)259(y)242(y)302(y)44(y)172232
259(z)319(z)275(z)335(z)17(z)205265
12景行天皇ケイコウ辛未庚午7113060  210(x)270(x)252(x)312(x)43(x)122182
243(y)303(y)269(y)329(y)27(y)139199
276(z)336(z)285(z)345(z)10(z)155215
13成務天皇セイム辛未庚午1311906095乙卯253(x)313(x)295 35543(x)105165
270(y)330(y)26(y)
286(z)346(z)10(z)
14仲哀天皇チュウアイ壬申庚辰1922009  29635630335883103158
 神功皇后ジングウ辛巳己丑20126969  304359360380572291111
15応神天皇オウジン庚寅庚午27031041130甲午361381394341484
16仁徳天皇ニントク癸酉己亥3133998783丁卯3954273328
17履中天皇リチュウ庚子乙巳400405664壬申428432527
18反正天皇ハンゼイ丙午庚戌406410560丁丑433437527
19允恭天皇インギョウ壬子癸巳4124534278甲午438454171
20安康天皇アンコウ甲午丙申4544563  45545842
21雄略天皇ユウリャク丁酉己未45747923124己巳4594893110
22清寧天皇セイネイ庚申甲子4804845  49049349
23顕宗天皇ケンゾウ乙丑丁卯485487338 49449528
24仁賢天皇ニンケン戊辰戊寅48849811  49650385
25武烈天皇ブレツ己卯丙戌4995068  50450963
26継体天皇ケイタイ丁亥辛亥5075312543丁未51052718-4
27安閑天皇アンカン甲寅乙卯5345352 乙卯52853580
28宜化天皇センカ丙辰己未5365394  53653940
29欽明天皇キンメイ庚申辛卯54057132  54057031-1
30敏達天皇ビダツ壬辰乙巳57258514 甲辰57158414-1
31用明天皇ヨウメイ丙午丁未5865872 丁未58558730
32崇峻天皇スシュン戊申壬子5885925 壬子58859250
33推古天皇スイコ癸丑戊子59362836 戊子593628360

 

感想

そもそも、古事記の分注崩年干支が正しいという根拠は何もないので、<表4>の数値が真実を表しているとは言えません。しかし日本書紀の紀年よりは少し真実に近づいているのではないかと思うのです。少なくとも古事記を書いた人物(正確にはこの分注崩年干支を書いた人物)は、明らかにこの計算結果の天皇在位年を主張しているのです。それをまじめに受け止めるべきではないかというのが私の意見です。

古事記崩年干支から推定できる最も古い天皇、崇神天皇が存在したとすれば、2世紀〜4世紀初頭の時代に絞り込まれることになります。この時期はまさに日本古代史の謎の時代でもあり、崇神天皇についてもっと詳しく調べてみる必要があるのと、この時代の歴史概況(生産・文化・大陸とのつながりなど)についても詳しく調べたいというのが結論です。また卑弥呼が存在したと考えられる3世紀前半〜後半がこの時期と重なってくることも興味深い点です。私見ですが、卑弥呼と大和の王権とは全く別世界の話のように思えます。卑弥呼は巫女であったと同時に、女王であったわけですから、同じ大和に女王が存在し、崇神天皇のような天皇系の大王が併存したとは考えにくいからです。やっぱり卑弥呼は九州に居た方がものごとがすっきりします。箸墓古墳が卑弥呼の陵墓であったと考える前に、崇神天皇のような大王の陵墓ではないかと考えるのが筋であると思うのですが。。。。

もうひとつ、<表4>の記紀末年差の数値を見てください。古事記と日本書紀の各天皇在位末年の差を計算したものです。日本書紀は神武天皇即位を紀元前660年とするために恣意的に天皇の在位年数を水増ししていることは容易に推定できることですが、その水増し度合が、古い天皇になるほど大きくなっていることが、傾向としてはっきり出ていることが判ります。特に応神天皇より前の天皇にその傾向が著しいのが特徴的です。そして、あたかも卑弥呼であったかもしれないと思わせるような分注を残した日本書紀の神功皇后は、どう見ても4世紀の人物であると古事記の分注崩年干支が物語っているのも興味深い点です。

[2012年09月07日 追記]

昨日(2012年09月06日)のニュースで、新潟市内の「城の山古墳」発掘調査の結果が報道されました。「城の山古墳」は4世紀前半の古墳で、発掘された遺品は畿内の同時期のものと類似しており、当時の大和王権の影響が新潟県にまで及んでいたことが推定されるということのようです。
これは少し面白くなってきましたね。古事記によれば、大和王権で最初に広く日本を平定したのは崇神天皇です。崇神天皇の命を受けて大毘古命(オホビコノミコト)が高志國(新潟)を、その子建沼河別命(タケヌナカハワケノミコト)が東の方十二道を、その後親子が合流して相津(福島)を平定したとあります。崇神天皇のこの事績が本当だとしたら、今回のニュースがぴったり合うことになります。

崇神天皇が3世紀後半〜4世紀初頭の天皇として実在したとなると、その在位末年は<表4>の B列・z行 318年ということになります。崇神天皇の在位末年が決まれば、垂仁天皇 335年、景行天皇 345年、成務天皇 355年、仲哀天皇 358年、神功皇后 380年、と崇神天皇以降の天皇の在位末年がすべて分注崩年干支から求められます。このニュースはかなりインパクトがありますが、まああまり急いで断定するのではなく、年代と古墳埋葬品の関係や、大和と北陸の文化の交流などについてももっと詳しく勉強しなければと思う昨日今日です。

古事記に記載された天皇の宮殿、陵墓所在地

追記:2012年09月23日

せっかく崇神天皇〜推古天皇までの在位年が推定できたので、ついでに古事記に記載されている天皇の宮殿、陵墓所在地を一覧にまとめました。宮殿の所在地、陵墓所在地の現在地名は、「古事記/倉野憲司校注/岩波文庫」の脚注より引用したものです。「古事記/倉野憲司校注/岩波文庫」は 1963年に発行された本なので、その後の調査・研究により更に正確な所在地が比定されているかもしれません。また、日本書紀との比較も必要だと思いますが、いずれにしても、これだけのデータがあるわけですから、いずれの日にか宮殿跡や陵墓の調査が進むことを期待したいところです。

このデータを見て気になることは、奈良県外に宮殿を構えた天皇(成務、仲哀、仁徳、顕宗)や、奈良県外に陵墓がある天皇(仲哀、応神、仁徳、履中、反正、允恭、雄略、継体、安閑、敏達)達です。宮殿や陵墓が奈良盆地から離れるということは、その天皇の権力基盤が奈良盆地で継承されてきた天皇家とは異なる勢力に移行していることを意味するのではないか、あるいは外国(中国・朝鮮)との関係において著しい政治・経済情勢の変化を物語っているのではないかというような疑問です。まあ、すこしづつですが勉強を推し進めていきましょう。

<表5>古事記に記載された天皇の宮殿、陵墓所在地
天皇在位年(*1)宮殿陵墓
名前元年末年年数名称所在地(*2)所在地現在地名(*2)
1神武天皇ジンム   畝火の白檮原宮(かしはらのみや)奈良県畝傍山の東南畝火山の北の方の白檮(かし)の尾の上 
2綏靖天皇スイゼイ   葛城の高岡宮(たかをかのみや)奈良県南葛城郡衝田岡(つきだのをか)奈良県高市郡
3安寧天皇アンネイ   gaiji009.gif(かたしほ)の浮穴宮(うきあなのみや)奈良県北葛城郡畝火山の御陰(みほと) 
4懿徳天皇イトク   輕の境岡宮(さかひをかのみや)奈良県高市郡畝火山の眞名子谷(まなごたに)の上 
5孝昭天皇コウショウ   葛城の掖上宮(わきがみのみや)奈良県南葛城郡掖上(わきがみ)の博多山の上奈良県南葛城郡
6孝安天皇コウアン   葛城の室の秋津島宮(あきづしまのみや)奈良県南葛城郡玉出の岡の上奈良県南葛城郡
7孝霊天皇コウレイ   gaiji003.gif田(くろだ)の廬戸宮(いほどのみや)奈良県磯城郡片岡の馬坂の上奈良県北葛城郡
8孝元天皇コウゲン   輕の堺原宮(さかひばらのみや)奈良県高市郡劍池(つるぎのいけ)の中の岡の上奈良県高市郡
9開化天皇カイカ   春日の伊邪河宮(いざかはのみや)奈良市伊邪河(いざかは)の坂の上奈良市
10崇神天皇スジン 318 師木(しき)の水垣宮(みづがきのみや)奈良県磯城郡山邊の道の勾(まがり)の岡の上奈良県磯城郡
11垂仁天皇スイニン31933517師木(しき)の玉垣宮(たまがきのみや)奈良県磯城郡菅原の御立野(みたちの)の中奈良県生駒郡
12景行天皇ケイコウ33634510纏向の日代宮(ひしろのみや) 山邊の道(やまのべのみち)の上奈良県磯城郡
13成務天皇セイム34635510近つ淡海の志賀の高穴穂宮(たかあなほのみや)滋賀県大津市沙紀(さき)の多他那美(たたなみ)奈良県生駒郡
14仲哀天皇チュウアイ3563583穴門(あなど)の豐浦宮(とよらのみや)下関市長府河内の恵賀(ゑが)の長江(ながえ)大阪府南河内郡
 神功皇后ジングウ35938022    
15応神天皇オウジン38139414輕島の明宮(あきらのみや)奈良県橿原市?(*3)川内の惠賀(ゑが)の裳伏(もふし)の岡大阪府南河内郡
16仁徳天皇ニントク39542733難波の高津宮(たかつのみや)大阪市毛受(もず)の耳原(みみはら)大阪府堺市
17履中天皇リチュウ4284325伊波禮(いはれ)の若櫻宮(わかさくらのみや)奈良県磯城郡毛受(もず) 
18反正天皇ハンゼイ4334375多治比(たぢひ)の柴垣宮(しばかきのみや) 毛受野(もずの) 
19允恭天皇インギョウ43845417遠飛鳥宮(とほつあすかのみや) 河内の恵賀(ゑが)の長枝(ながえ)大阪府南河内郡
20安康天皇アンコウ4554584石上(いそのかみ)の穴穂宮(あなほのみや)奈良県山辺郡菅原の伏見(ふしみ)の岡奈良県生駒郡
21雄略天皇ユウリャク45948931長谷(はつせ)の朝倉宮(あさくらのみや) 河内の多治比(たぢひ)の高gaiji025.gif(たかわし)大阪府南河内郡
22清寧天皇セイネイ4904934伊波禮(いはれ)の甕栗宮(みかくりのみや)奈良県磯城郡  
23顕宗天皇ケンゾウ4944952近飛鳥宮(ちかつあすかのみや)大阪府南河内郡片岡の石坏(いはつき)の岡奈良県北葛城郡
24仁賢天皇ニンケン4965038石上(いそのかみ)の廣高宮(ひろたかのみや)奈良県磯城郡  
25武烈天皇ブレツ5045096長谷(はつせ)の列木宮(なみきのみや)奈良県磯城郡  
26継体天皇ケイタイ51052718伊波禮(いはれ)の玉穂宮(たまほのみや)奈良県磯城郡三島の藍(あゐ)大阪府三島郡
27安閑天皇アンカン5285358勾(まがり)の金箸宮(かなはしのみや)奈良県高市郡河内の古市の高屋村(たかやのむら)大阪府河内郡
28宜化天皇センカ5365394gaiji011.gif(ひのくま)の廬入野宮(いほりののみや)奈良県高市郡  
29欽明天皇キンメイ54057031師木島(しきしま)の大宮奈良県磯城郡  
30敏達天皇ビダツ57158413他田宮(をさだのみや)奈良県磯城郡川内(かふち)の科長(しなが)大阪府南河内郡
31用明天皇ヨウメイ5855873池邊宮(いけべのみや)奈良県磯城郡石寸(いはれ)の掖上(いけのうへ)、後に科長(しなが)奈良県磯城郡
32崇峻天皇スシュン5885925倉椅(くらはし)の柴垣宮(しばかきのみや)奈良県磯城郡倉椅(くらはし)の岡の上奈良県磯城郡
33推古天皇スイコ59362836小治田宮(をはりだのみや)奈良県高市郡大野の岡の上、後に科長(しなが)奈良県宇陀郡

(*1) 分注崩年干支による推定年代
(*2) 古事記/倉野憲司校注/岩波文庫 脚注より引用
(*3) Wikipedia より引用

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