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JRX115改で聴くクラシック音楽

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項目

2013.03.17 スコットランド民謡(ハイドン編曲)
2013.04.09 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ & パルティータ BWV1001〜1006(バッハ)
2013.05.10 レクイエム(モーツアルト)
2016.02.23 平均律クラヴィーア曲集(バッハ)
2016.06.08 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」(グレツキ)

 

[スコットランド民謡(ハイドン編曲)]

作成:2013年03月17日

ハイドン全集とバッハ全集を入れ替えとっかえ聴いている最近ですが、何気なく取り上げたハイドン全集の 1枚 がなんとも心地よく爽やかで素朴な歌声なので、CD のタイトルを確認したら、これがスコットランド民謡でした。このハイドン全集にはハイドン編曲のスコットランド民謡 156曲が CD7枚に収録されていました。

Wikipedia で調べると、このスコットランド民謡の編曲はスコットランドの人士、GEORGE THOMSON からハイドンが依頼を受けたもので、ハイドンはそれを完成することなく没したため、ベートーヴェンがその後を受けて完成させたそうです。知らなかったのですが、ベートーヴェンはハイドンに師事した弟子だったのですね。ベートーヴェンもまたモーツアルトと同様、弦楽四重奏曲をハイドンに献呈したそうですが、ハイドンはそれを全く理解しなかったそうです。ふむー、さもありなん。。。。

話しがそれましたが、スコットランド民謡と言えば、アニー・ローリーや故郷の空、など子供の頃によく歌ったものです。収録された曲の歌詞の意味は理解できませんが、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの伴奏とボーカルが絶妙のコンビネーションで演奏されていて、明るい曲も、ちょっと寂しい曲も実に素直に心に響いてきます。民謡の持つおおらかさが心持ちを自然体にしてくれるのでしょう。何度聞いても飽きないし、ずっと聞き流していても疲れないし、心を癒す曲集ですね。一聴に値すること請け合いです。

音源は、BRILIANT CLASSICS HAYDON EDITION CD61-67 です。名演奏とは言えないのでしょうが、どの CD も満足できる演奏と音質で、よほどのマニアでないかぎり十分楽しめる全集です。お試しあれ。

2013年03月20日 追記
これを書いた後、今から30年以上も前に仕事でグラスゴーに行った時、せっかく来たのだからと休日にローモンド湖にドライブに出かけた時のことを思い出しました。スコットランドの地は牧草の生えた緩やかな丘陵が延々と続くのどかな所で、ローモンド湖は川がせき止められて出来た湖だと聞きました。その近くにひっそりとたたずむ喫茶店に立ち寄ったのですが、店には手作りの民芸品がさりげなく並んでいて、近くのお年寄りが窓の景色を眺めながらゆったりとお茶を飲んでいた光景がなんとも素朴で心に残ったことでした。このスコットランド民謡は、まさにあの時の光景を思い出させてくれました。古いアルバムを探してみたらその時の写真が出てきました。

ローモンド湖の辺り1    ローモンド湖の辺り2

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[無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ & パルティータ BWV1001〜1006(バッハ)]

作成:2013年04月09日

今週に入って、昨日から比較的天気が安定しています。我が家の庭の草取りも随分進み、今年は比較的早く庭が綺麗になりそうです。暖かい陽を受けてただ黙々と草をひくのは例年通りのことなのですが、ふと思いついてなんだかいい音楽が聴きたくなりました。さすがに JRX115改 を庭に持ち出すわけにはいかないし、そんなものを鳴らしたらそれこそ近所から大クレームですから、書斎の机に置いている ELECOM MS-76CH(アクティブSP 4.5W x 2) と iPod を持ち出して、庭のパラソル付テーブルに置いてみました。

さてさて、草取りをしながらどの曲を聴こうかと思案、うんうんこれに限ると選んだのは、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ & パルティータです。パルティータというのは、変奏曲ないしは組曲という意味だそうですが、ソナタが四部構成なのに対して、このパルティータは五部〜八部構成になっています。まあ、その程度の違いとしか理解できないのが、私の音楽形式に関する知識レベルなんですが。。。。でまあそれはともかく、ポカポカと陽のあたる庭で聴くバッハの澄みわたるヴァイオリンの旋律は、実に美しいことこの上ないものです。部屋の中で聴くのとは一味も二味も違って実に瑞々しく開放的に聞こえます。

未だ新緑には早いですが、満開の雪柳や、朱もみじの新芽、クレマチスの新葉が一緒に春を詩っています。でまあ、ちょっと草取りを休憩して、薄めのコーヒーをすすり、タバコを一服つけると、これはもう至福の時間ですね。ちょっと離れて昼寝していた愛犬(もう17歳になる老犬)がなにやら近寄ってきて、スピーカーの前に座りました。じっと聴き耳を立てて聴いているのかいないのか。。。。犬もこの音楽のすばらしさと、庭の美しさを堪能しているように見える光景です。文字だけでは伝わらないかもと思い、ちょっと下手な写真を撮ってみました。下手な写真ではなお伝わらないかもしれませんが。。。。

草取り1    草取り2

音源は、BRILIANT CLASSICS バッハ全集(CD155枚セット) の CD I-10 と CD I-11 を AAC 192kbs, 44.1KHz で iPod に入れたものです。

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[レクイエム(モーツアルト)]

作成:2013年05月10日

モーツアルトのレクイエムについて、いつか書こうと思いながら、なかなかキーボードを打つだけの気合が入らなかったのですが、久々にこの曲を聴いてやっぱり感想を書かないのは片手落ちだと思いました。三大レクイエムのベルディとフォーレのレクイエムについては以前に書きましたが、モーツアルトのレクイエムはとりわけいわく因縁のある曲です。

以前モーツアルトの交響曲第40番の感想を書いた時、このレクイエムはモーツアルトの死の直前、まさに人生の終末・冬を思わせるようだと書きました。しかし、この曲には死の恐怖を感じさせるものは何もなく、死の冷涼さと死を予感した緊張感が全体にみなぎっています。もちろんフォーレのような暖かさは皆無だし、ベルディのようなドラマチックな強さ、激しさはありません。

Wikipedia で調べると、この曲の依頼者はフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という田舎の領主だったそうです。未亡人となった妻コンスタンツェと再婚したゲオルク・ニコラウス・ニッセンが書いたモーツアルト伝などにより、死の世界からの使者の依頼で自らのために作曲したのだという伝説が一時信じられ、そんな映画を見た記憶がありますが、確かにそのような鬼気せまる死の直前の状況であったのかもしれません。

モーツアルトからダ・ポンテへの手紙の最後に「筆をおきます。これは僕の死の歌です。未完成のまま残しておくわけにはいきません。」と書かれているのを見ると、はっきりと死を意識し、死への恐怖というよりも自分の死への鎮魂と未完成のまま死を迎えたくないという緊迫感が伝わってきます。死の恐怖と悲しみをのり越えて、その先にある冷たくも美しい世界を必死に書き上げようとしたモーツアルトの心情と死を目前にした悲壮さがこの曲の「悲しみの向こうにある美しさ」に通じているのではないでしょうか。

ところでこの曲は、モーツアルトの思い通りには完成せず、未完成のままに終わります。モーツアルトの弟子、ジュースマイヤー(およびフライシュテットラー)が補筆して完成させたそうですが、その後色々な補作版が作られているようです。私が持っているソースは、レコードがカラヤン指揮/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(Grammophon SLGM-1077)、CD がカール・ベーム指揮/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(Grammophon UCCG-3353) ですが、どの補作版かは書かれていません。書かれていない場合は、ジュースマイヤー(およびフライシュテットラー)による補作版の可能性が高いそうです。

と、まあ色々 Wikipedia から引用しましたが、この曲はベートーヴェンの交響曲第5番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番と並んで私が最も高く評価する名曲です。いずれも寸分の隙もなく、聴く者をその精神世界に引きずり込む魅力を持っています。

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[平均律クラヴィーア曲集(バッハ)]

作成:2016年02月23日

Wikipedia によると、クラヴィーア(独語:Clavier)とはバッハの時代(18世紀)にはチェンバロ(ハープシコード)、クラヴィコード、時としてオルガンも含めた鍵盤楽器全般を意味したそうです。私が聞いている BRILLIANT CLASSICS バッハ全集では、チェンバロが使用されています。チェンバロの音はピアノに比べるとダイナミックレンジは小さいですが、その音色は弦の音がより直接的に聞こえるように思います。ピアノはもっとダイナミックレンジが大きく、音の響きも豊かですね。どうもチェンバロとピアノの違いは発音機構にあるようです。

チェンバロは弦を引っかいて音を出し、ピアノは弦を叩いて音を出します。適切な例えかどうか分かりませんが、チェンバロはギターに近く、ピアノは鉄琴に近いという説がネット上にありました。うーん、まあ一応それで納得した気持ちになりました。チェンバロの低音はビビーン、中音はビーン、高音はピーンかな。ピアノの低音はドビーン、中音はボローン〜ポローン、高音はピローンかな(適切な表現かどうかは?ですが)。

我が JRX115改でこの平均律クラヴィーア曲集を聞いてみると、そのチェンバロのシンプルで深みのある弦の響きが実にリアルに聞こえてきます。特に低音〜中音域の音の存在感、高音域の端正な響きは出色です。久しぶりに JRX115改の実力を見直した次第です(完全に自画自賛)。

で、曲の感想ですが。。。限りなく無色、端正。BGMとして聞くにはとてもいいですね。 余分な雑念を呼び起こしません。非常に美しいとか、感情を刺激するような旋律があまりありません。とは言え、Book-I No.2(BWV847), No.4(BWV849), No.5(BWV850), No22(BWV867), Book-II No.14 などは印象に残る旋律をもっています。特にフーガがいいですね。第1巻の24曲は練習曲としての性格が強かったようですが、対位法を極めたバッハ音楽の真髄のようにも思います。

更に言えば、平均律という鍵盤楽器にとって画期的な音律を独自の調律法で採用したのも、その後の古典派音楽への影響を考えると、バッハの偉大さにあらためて感心させられますね。しばらくはバッハのチェンバロ曲に魅せられた音楽三昧の日々が続きそうです。

音源は、BRILLIANT CLASSICS バッハ全集 CD-II-1〜2、チェンバロ演奏は Leon Berben です。

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[交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」(グレツキ)]

作成:2016年06月08日

6月7日、久しぶりに NHK-FM(インターネットラジオ)のクラシックカフェを録音しました。その最後に放送されたのがこの曲です。現代音楽作曲家グレツキの名は全く知りませんでしたが、この曲を聞いて、いわゆる現代音楽の無機質で不協和音を多用した温かみのない音楽とは全く違うことに驚きました。こんな作曲家がいたんだ。。。。調べると、1933年ポーランド生まれ(2010年没)の作曲家でした。

放送の解説によれば、この交響曲はグレツキの代表作で 1976年に作曲、オーケストラにソプラノ独唱が加わっています。第一楽章は15世紀にポーランドで歌われていた嘆きの歌の言葉が、第二楽章はザコパネの収容所で18歳の少女が壁に刻みこんだ祈りの言葉、第三楽章はポーランドの古い民謡に登場する戦いで息子を失った母親の言葉が歌われているそうです。第二次世界大戦中、グレツキは未だ10歳前後で、アウシュビッツの近くに住んでいたのですが、ポーランド苦難の時代に生きたグレツキが平和への祈りを込めて書き上げた曲ということです。

ソプラノはドーン・アップショー、オーケストラはロンドン・シンフォニエッタ、デイヴィッド・ジンマン指揮の演奏です。曲は、初めから終わりまで緩やかなテンポで悲しみの歌とオーケストラが淡々と続きます。しかし退屈することはありません。うーん。。。どこかフォーレのレクイエムに似た印象が残りますね。ただしフォーレのレクイエムは死者への追悼を包み込むような温かさで表現しているのに対し、この曲では悲しみがどこまでも純化されているように感じます。そこには悔恨や運命への恨みというような感情はなく、どこまでも純粋な悲しみが表現されています。そして聞く者に、その悲しみを慈しむ心持を感じさせます。仏教では、人の悲しみに共感する心は「慈悲」の心ですね。そういう意味で、この曲にはレクイエムに通じる宗教的なものを強く感じます。交響曲という形式をとっていますが、限りなく宗教的な曲であると思いました。

ところで、ザコパネの収容所というのはあまり聞いたことがないので、Wikipedia でちょっと調べてみました。以下 Wikipedia より引用。

クラカウ・プラショフ強制収容所は、ナチス・ドイツが第二次世界大戦中にポーランドのクラクフ郊外プワシュフに設置した強制収容所。スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」の舞台となった。プワシュフ収容所は1944年秋まで複数の付属収容所を持っていた。ヴィエリチカ、ザコパネなどに付属収容所があった。
ザコパネは、ポーランドのマウォポルスカ県に属する都市で、タトラ山脈の山麓に位置しており、ポーランド屈指の避暑地、保養地として知られる。近隣の都市としては、約85キロ北のクラクフが挙げられ、鉄道とバス路線で結ばれている。タトラ山脈の南麓はスロヴァキア領となっている。

ザコパネ地図    Googleの地図で調べたら、アウシュビッツはクラクフの西約 50Km ですね。グレツキのおかげで、ほんの少し勉強になりました。

[その後] 2016.06.13
何気なく ラフマニノフの交響詩「死の島」を聞いて驚きました。曲の出だしがこの交響曲と大変似ています。厳密に言えばもちろん違いはありますが、曲想はそっくりですね。同じような曲想なのにグレツキの交響曲は悲しみを表現し、ラフマニノフの交響詩は死の不気味さを表現しているように感じます。人がその曲をどう感じるか、曲名が大きく影響するものだと強く思った次第です。

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