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仏教の部屋

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[ブッダ最後の旅 --仏陀の足跡を辿る--]

作成:2002年07月13日

仏陀の最後の遊行と死に至る姿が記述された経典として、「大パリニッバーナ経(パーリ語)」があります。「ブッダ最後の旅 --大パリニッバーナ経--」/中村 元訳、岩波文庫を参考に、仏陀の最後の遊行の足跡と死に至る姿を辿ってみました。
なお、「大パリニッバーナ経(パーリ語)」は、漢訳経典としては、「大涅槃経」として知られています。
また、古本屋で見つけた「現代意訳 阿含経」/友松 圓諦著、佛教経典叢書刊行會(大正十年刊行) は、漢訳経典である遊行経(長阿含経の一部)および、「大パリニッバーナ経」をもとにした現代語訳ですが、当時の社会的背景や、仏陀が辿ったガンジス河流域の地図と当時の地名が記されていて、仏陀の死に至る姿が一層リアルに描かれています。

仏陀が生きた時代

「現代意訳 阿含経」/友松 圓諦著、佛教経典叢書刊行會(大正十年刊行) によると、仏陀の生涯は、紀元前565(?)年〜486(?)年とされています。
その他、インターネット上に掲載されている年表、記事類をいくつか例示します。

■ http://www.hohen-online.com/temple/temple.html
紀元前563年〜459年

■ http://www.sopia.or.jp/kinchan/page/history/Data/hst_Timelist_main.html
〜紀元前486年没

■ http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/bun033.htm
紀元前560年頃〜480年頃

■ http://nenpyo.hoops.ne.jp/data/asia/tibtn001.html
紀元前563年誕生〜

■ http://www.kosaiji.org/Buddhism/syaka.htm
紀元前463〜383年頃、紀元前566〜486年頃、紀元前624〜544年頃

ブッダ最後の旅の足跡を辿る地図

更新:2002年09月07日

前記「現代意訳 阿含経」の地図(古地図)を基に、できるだけ忠実に描いてみ ました。----------- がその経路です。ラージャガハを出発し、パーバー町で倒れ、クシナーラで火葬されます。

画像(ブッダ最後の旅の経路図)

■ [注]
以下、現代地図「基本高等地図2002-2003」/二宮書店 P12(ガンジス川下流域)も参考に地名、河川名などを簡単に説明します。
サッカ、マルラ、ヴァッジ、コサラー、カーシー、ヴィデハ、マガダ等は、ブッダが生きた時代のガンジス河流域の王国名です。ちなみに、ブッダはサッカ国の王子として生まれました。
ラージャガハ市、ナーランダ、パータリープッタ市、ヴェーサリー市、ミチラ市、パーバー町、クシナーラとも、現代地図では地名が確認できません。

□ バラナシー
現在のバラナシ(ベナレス)、ヒンズー教の聖地です。

□ パータリーブッタ市
やや西側対岸が現在のパトナ

□ ガヤー
現在のガヤ(ブッダガヤの史蹟があります)

□ ナーランダ
ナーランダ史蹟は、現在のビハールシャリーフのすぐ近くに位置します。

□ カピラバッツ
釈迦族の王城があった場所です。ブッダ生誕の地は、カピラバッツ近郊、現在のルンビニとブトワル(いずれもネパ−ル)の中間に位置しています(現代地図)。その北側約 100Km〜130Km にアンナプルとダウラギリ、北北東約 200Km にマナスル、東側約 200Km にカトマンズ、370Km にエベレストが位置しています。

□ ガンダク川
現代地図による名称です。古地図ではヒラニヤミーチー河となっています。

□ ガガラ川
現代地図による名称です。

□ ソン川
現代地図による名称です。

□ ネランジャラー川
古地図による名称です。漢訳では尼蓮禅河といいます。現代地図ではそれらしき川が見付かりません。ブッダは35才の時、このネランジャラー川のほとりウルヴェラーの地において、菩提樹下で覚りを開いたとされています。

□ 縮尺は、経度1度が約 100Kmです。

■ [2003.02.09 追記]
□ クシナーラ
仏教辞典/岩波書店(中村元他編集)によると、クシナーラ(クシナガラ) の古址については異説があったが、現在ではゴラクプルの東 56Km カシアーに比定されているとあります。上記古地図上に、ゴラクプルと現在の定説となっているクシナガラを で表示しました。古地図のクシナーラ、パーバーの位置は、異説のひとつであったものと思われますが、その根拠が何であったかは不明です。

■ [参考]
http://www.lib.utexas.edu/maps/index.html より入手した 1882年版地図の一部改作したものを以下に掲載します。
この地図からも Gunduk(Gandak)川、Gogra(Ghaghara)川、Sone(Son)川、Patna市、
Benares(Varanasi)市、Gyah(Gaya)市、Katmandoo 市などが確認できます。また、
Katmandoo の西方 200Kmにある Deoniagurb のやや南西がブッダ誕生の地に近いのではないかと推察されます。

■ [2003.02.09 追記]
仏陀生誕地を地図上に で表示しました。

 
画像(インド東北部地図)
フルサイズ画像(305KB)

 

足跡を辿る

ラージャガハにおいて
仏陀は、マガダ王国の首都ラージャガハ(王舎城)近くにあるギジャクータ山(鷲の峰)を根拠地にして、活動していた。マガダ王国のアジャータサットゥ王は、ヴァッジ共和国を征服する方法を訊くため、仏陀のもとにヴァッサカーラ(マガダ王国の首相) を使いさせる。
仏陀は、かってヴァッジ共和国で、国を衰亡させないための七つの法を説いたこと、ヴァッジ共和国の人々がその法を今も守っていることをアーナンダ(仏陀の身のまわりの世話をしていた、もっとも見近な弟子) に確かめ、その七つの法を守っているかぎり、ヴァッジ共和国の衰亡がないことをヴァッサカーラに伝える。

仏陀は、アーナンダにラージャガハに住む修業僧をギジャクータ山の講堂に集めさせて、修業僧逹が衰亡しないための以下の七つの法を説く。
■ 会議をしばしば開催し、多くの者が参加すること。
■ 共同して、集合、行動、教団のなすべきことを行うこと
■ 定められた戒律を守って、実践すること
■ 経験者、長老、教団の指導者を尊敬し、彼らの言うことを聴くこと
■ 迷いの生存を引き起こす愛執に支配されないこと
■ 修業のため、林間に住むこと
■ 心のおもいをを安定させて良い指導者とともにくらすこと
更に、二種類の七つの法と六つの法を説教する。

旅立ち
アンバラッティカは、ラージャガハとナーランダの中間に位置する林園で、アジャータサットゥ王の休息所であった。仏陀はアーナンダと多くの修業僧逹とともに、アンバラッティカへ出発する。そこで、戒律、精神統一、智慧について修業僧逹に講話する。

ナーランダにおいて
仏陀とその弟子達および修業僧達は、富商パーヴァーリカの所有するマンゴー樹林に滞在する。そこで仏弟子の長老サーリプッタは、仏陀を讃えて次のように述べる。
過去、未来の長いときにわたって真人、正しくさとった人々がいるが、それらすべての尊師は五つの蓋(おおい)を捨て去り、人を弱くする心の煩悩をはっきりと認識して、四つのことを心に思う修業(四念処)を行い、七つのさとり(七覚支)を得る修業を行い、無上の正しいさとりを得る。現在の仏陀もまたそうである。

■ 四念処とは、以下の四つを心に思う修業
□ この身は不浄である。
□ 感受するものは苦である。
□ 心は無常である。
□ すべての事物は無我である。

■ 七覚支
□ 択法(ちゃくほう)。教えの中から真実なものを選びとり、偽りのものを捨てる。
□ 精進(しょうじん)。一心に努力すること。
□ 喜。真実の教えを実行する喜びに住すること。
□ 軽安(きょうあん)。心身をかろやかに快適にすること。
□ 捨。対象へのとらわれを捨てること。
□ 定。心を集中して乱さないこと。
□ 念。おもいをを平かにすること。

パータリ村において
在俗信者達が仏陀を招いて供養したとき、仏陀は次のように述べる。
戒めを犯したために、行いの悪い人には五つの禍いがある。
■ 財産を失う。
■ 悪い評判が近づいてくる。
■ どのような集会に出ても、どこに行っても、不安でおじけている。
■ 死ぬ時に精神が錯乱している。
■ 死んだのちに、悪いところ、苦しいところ、地獄に生まれる。

戒めをたもっていることによって、品性のある人には五つの利点がある。
■ 財産が大いに豊になる。
■ 良い評判が起こる。
■ どのような集会に出ても、どこに行っても、泰然としていておじけることがない。
■ 死ぬ時に精神錯乱することがない。
■ 死んだのちに、善いところ、天の世界に生まれる。

ちょうどマガダ王国の二人の大臣、スニーダとヴァッサカーラがヴァッジ共和国の浸入を防ぐためにパータリ村に城廓を築いていた。仏陀は、パータリプッタ市が火と水と内部分裂による災難を受けることを予言する。マガダ王国の二人の大臣はこの話を訊き、仏陀と修業僧達を供養する。そのとき仏陀は、仏を供養をしたその土地(パータリ村)は、神霊達によって加護されるであろうと述べる。

コーティ村において
仏陀は修業僧達に、四つのすぐれた真理(四諦)を説く。
■ 一切は苦しみである。
■ 苦しみが起こるもとは、真理を理解しない(覚らない)無明であり、無明は執着する心によって生じる。
■ 苦しみを止滅するには、執着する心、生存への妄執を断ち切ることである。
■ 苦しみの止滅に導く道は、正しい八つの道(八正道)を実践することである。

ナーディカ村において
仏弟子アーナンダが、修業僧、尼僧、在俗信者達がが亡くなったことに触れ、彼等が死後どこに行くのかを仏陀に質問する。仏陀は次のようにこたえる。
修業僧サールハは、心の解脱、智慧による解脱をすでに生存中に具現していた(彼には、すでに生死はない)。 尼僧ナンダーは、下界(欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼしていたので、ひとりでに生まれてニルヴァーナ(涅槃)に入り、この世界にもどることはない。在俗信者スダッタは、三つの束縛を滅ぼしていたので、欲情と怒りと迷いが漸時に薄弱となり、一度だけこの世にもどるが、もどって苦しみを滅ぼしつくす。

■ 五つの束縛
小乗仏教では、五下分結という。下分は欲界を意味し、結は束縛を意味する。

□ 貪欲。
□ 瞋恚(しんい)。怒ること。
□ 有身見。<われ>とか<わがもの>とかいう観念を離れない我執。
□ 戒禁見取(かいごんけんしゅ)。誤った戒律や禁制を正しい修業方法であるとして執着すること。
□ 疑。

■ 三つの束縛
三結という。結は束縛を意味する。

□ 見結。われ有りとみなす見解。
□ 戒取結。あやまった戒律を行ずることを解脱の因と見なすこと。
□ 疑結。正しい道理を疑うこと。

ヴェーサリーにおいて
仏陀は、弟子達、修業僧達とともに、アンバパーリー女の所有する林に居住する。アンバパーリー女は娼婦であったが、富裕で大邸宅に住み、富裕な人々に歌舞音曲をもって奉仕することを仕事としていた。遊女アンバパーリーは、仏陀達がヴェーサリーに来ていて、自分のマンゴー林に居住していることを知り、仏陀のもとへ挨拶に出向く。仏陀は仏法に関する講話を行い、彼女を教え、諭し、励まし、喜ばせる。アンバパーリーは、お礼として自宅で仏陀を供養したいと申し入れ、受け入れられる。
この話を聞いたヴェーサリー市のリッチャビ族の貴公士たちが、自分たちも仏陀をもてなしたいと仏陀のもとへ伺うが、アンバパーリーの先約があることを知り悔しがる。
アンバパーリ−は、仏陀を供養し、仏法に関する講話を聞いた後、マンゴー林を仏陀を上首とする修業僧の集に献上する。

ベールヴァ村において
仏陀と弟子達、修業僧達がベールヴァ村に着いた頃は、ちょうど雨期に入る時期であった。仏陀は、雨期の間は、雨期の定住(雨安居(うあんご))に入るように修業僧達に指示する。修業僧達は、ヴェーサリーの近くの知人、友人、親友を頼ってそれぞれ雨安居に入る。仏陀もまたべールヴァ村において雨安居に入るが、そのとき大きな苦痛をともなう病気が仏陀を襲う。仏陀は苦痛を耐え忍びながら、弟子達や修業僧達に別れを告げることなくこのまま死ぬ(ニルヴァーナに入る)わけにはいかないと強く決意する。病が回復したとき、若い弟子アーナンダは、仏陀の重病を前に自分が呆然自失していたこと、弟子達、修業僧達に別れのことばがないまま仏陀がニルバーナに入ることなど決してないと思っていると告白する。仏陀はアーナンダに次のように説く。

自分は、弟子達、修業僧達、その他内外の人々に隔てなくすべての理法を説いた。弟子に隠していることなどなにもない。自分はもう老い朽ち、齢をかさねて老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。齢八十である。だから、もう自分をたよりとするな。この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。そのためには、自分の身体、感受、心、諸々の事象についてよく観察し、熱心に、よく気をつけて、念じて、貪欲と憂いを除くべきである。
今も、自分の死後も、誰でも学ぼうとするものはそのようであれ。

仏陀はアーナンダを呼んで次のように言う。
ヴェーサリーは楽しい。いろいろな霊樹の地は楽しい。修業を完成した人(如来)は、四つの大きな霊力を修したので、もし望むなら寿命のある限りこの世にとどまるであろうし、あるいはそれよりも長くとどまることもできるだろう。
若い弟子アーナンダは、仏陀がこのようにほのめかしたのに、その意味を洞察することができず、仏陀に寿命のある限りこの世にとどまって欲しいと懇請しなかった。仏陀はおなじことを三度アーナンダに告げるが、アーナンダは三度とも、仏陀に寿命のある限りこの世にとどまって欲しいと懇請しなかった。

悪魔が仏陀に近づき囁きかける。
尊師よ、今やニルヴァーナに入る時です。あなたの弟子達、修業僧達は今や、よく身をととのえ、法をたもち、法に従って行い、正しく実践し、解脱し、説明し、知らしめ、異論が起こってもよく解き伏せ、教えを反駁できないものとしています。だから、今やニルヴァーナに入ってもよい時です。
このとき、仏陀は、今から三ヶ月後にニルヴァーナに入ることを、悪魔に告げる。

仏陀は霊樹の下で念じて、寿命の素因(いのちのもと、仏陀はすでにニルヴァーナに達しているが、過去の業の余力があり、それがこの世での生命を保つ素因となっている)を捨て去る。その時大地震が起こり、雷鳴が轟き、人々は恐怖する。
若い弟子アーナンダが、このような大地震が起こり、雷鳴が轟き、人々が恐怖する原因は何なのかを仏陀に尋ねたとき、仏陀は次のように答える。

大きな地震が現れるには、八つの原因、八つの条件がある。
■ この大地は水の上に安立し、水は風の上に安立し、風は虚空の上に存在するので、大きな風が吹くとき、水が動揺し、その水が大地を動揺させる。
■ 神通力があり、 他人の心を支配する力のある修業者(沙門(しゃもん):バラモン教以外の修業者、哲人)、またはバラモン(婆羅門:バラモン教の司祭者、インドの最高位カースト)、 あるいは、神通力・大いなる偉力のある神霊がいて、地の想いを僅かに修し、水の想いを限りなく修したとき、このような大地震が起こる。
■ ボーディサッタ(さとりを開く前の仏陀)が トッシタ(都卒天:天上にあるすばらしいところ)の身体から没して母胎に入るとき、このような大地震が起こる。
■ ボーディサッタが(母、マーヤーの)母胎から外に出るとき、このような大地震が起こる。
■ 修業を完成した人(如来、仏陀)が無上の完全なさとりを得たとき、このような大地震が起こる。
■ 修業を完成した人(如来、仏陀)が無上の法輪を回転するとき(説法を行い、教えを広める)、このような大地震が起こる。
■ 修業を完成した人(如来、仏陀)が寿命の素因を捨て去ったとき、このような大地震が起こる。
■ 修業を完成した人(如来、仏陀)が完全なニルヴァーナに入るとき、このような大地震が起こる。

さらに仏陀はつづけて、八つの集、八つの(さとりの)境地、八つの解脱について教えを説いたあと、以前の悪魔との対話の内容を話し、三ヶ月後にニルヴァーナに入ることをアーナンダに告げる。アーナンダは、はじめて事態を理解し、「尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください」と懇請する。仏陀は、修業完成者に懇請してはならないと答える。アーナンダが三度おなじ懇請をしたとき、仏陀はつぎのように答える。

アーナンンダよ、かつて私はラージャガハ(王舎城)においても、 ギジャクータ山(鷲の峰)においても、ヴェーサリーにおいても、「修業を完成した人(如来)は、四つの大きな霊力を修したので、もし望むなら寿命のある限りこの世にとどまるであろうし、あるいはそれよりも長くとどまることもできるだろう」とほのめかしたではないか。そのとき、お前はその意味が洞察できなくて、「尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください」と懇請しなかったではないか。もしお前が懇請していたなら、二度目までは退けたかもしれないが、三度懇請されたなら承認したであろう。これは、お前の罪である。お前の過失である。
しかし、アーナンダよ、私はこのようにも言ったではないか。「愛しく、気にいっているすべての人々とも、やがては生別し、死別し、(死後には生存の場所を)異にするに至る」と。生じ、存在し、つくられ、壊滅する性質のものが、「壊滅しないように」ということがこの世でどうして有り得ようか。

仏陀は修業僧達を講堂に集めさせ、四つの念ずることがら(四念処)、四つの努力(四正勤)、四つの不思議な霊力(四神足)、五つの勢力(五根)、五つの力(五力)、七つの覚りのことがら(七覚支)、八つのすぐれた道(八正道)を解く。

■ 四正勤(ししょうごん)
さとりを得るための実践修業法の一つ
□ すでに生じた悪を除こうと勉めること
□ 悪を生じないように勉めること
□ 善を生じるように勉めること
□ すでに生じた善を増すように勉めること

■ 四神足
さとりを得るための実践修業法の一つ
□ すぐれた瞑想を得ようと願うこと
□ すぐれた瞑想を得ようと努力すること
□ 心をおさめてすぐれた瞑想を得ようとすること
□ 智慧をもって思惟観察し、すぐれた瞑想を得ること

■ 五根
解脱に至るための五つの力、能力
□ 信(信仰)
□ 精進(努力)
□ 念(憶念)
□ 定(禅定)
□ 慧(智慧)

■ 五力
五根と同じ

これらを説いたあと、仏陀は言う。

わが齢は熟した。
わが余命はいくばくもない。
汝等を捨てて、わたしは行くであろう。
わたしは自己に帰依することをなしとげた。
汝等修業僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。
その思いををよく定め統一して、おのが心をしっかりまもれ。
この教説と戒律とにつとめはげむ人は、生まれをくりかえす輪廻をすてて、苦しみを終滅するであろう。

バンダ村において
仏陀と弟子達、修業僧達は、ベーサリー市、ペールヴァ村をあとにし、バンダ村に至る。そこで、仏陀は修業僧達を集め四つのことわりを説く。
■ 戒律について
■ 精神統一について
■ 智慧について
■ 解脱について

ボーガ市において
仏陀と弟子達、修業僧達は、ボーガ市に至る。そこで、仏陀は四つの大きな教示を行う。

もし、修業僧の誰かが、次の四つのいずれかを語ったとしても、それを正しいとしてはならない。それらの文句をひとつずつ経典に引き合わせ、戒律に照らして吟味し、経典に合致し、戒律に一致するなら、それが師の説いたことばであり、その修業僧が正しく理解したことであるとしなさいと。

■ これは、仏陀から直接聞いた理法であり、戒律であり、師の教えである。
■ これは、修業僧の集から直接聞いた理法であり、戒律であり、師の教えである。
■ これは、博学で、聖典を伝え、法と戒律を保つ長老達、修業僧達から直接聞いた理法であり、戒律であり、師の教えである。
■ これは、博学で、聖典を伝え、法と戒律を保つ一人の長老、または修業僧から直接聞いた理法であり、戒律であり、師の教えである。

パーヴァーにおいて
仏陀と弟子達、修業僧達は、パーヴァーに赴き、鍛冶工の子チュンダのマンゴー林に留まる。チュンダは仏陀のもとを訪ね、法に関する講話を受けたあと、自宅で仏陀と修業僧達を供養したいと申し入れ、受け入れられる。

チュンダは、多くの御馳走とキノコ料理を用意し、仏陀を招く。仏陀は、キノコ料理は、自分が食べるといい、その他の食べ物を修業僧達に食べさせる。そして、残ったキノコ料理は、穴に埋めるようチュンダにいう。

仏陀がキノコ料理を食べたとき、激しい病が起こり、赤い血が迸り出て、激しい苦痛が生じる。仏陀は下痢をしながらも言う。「クシナーラへ行こう」

クシナーラへの途中、仏陀は疲れ一本の木の根もとに座る。そして、アーナンダに水が飲みたいと告げる。アーナンダは、近くの河は、今しがた多くの車が通ったので、水が濁っており、もうすこし先のカクッタ−河までいけば澄んだ冷たい水があると答えるが、仏陀は、三度、水が飲みたいと告げる。しかたなく、アーナンダが近くの河に赴くと、水は澄んで透明で濁らずに流れていた。アーナンダは仏陀の大神通・大偉力に驚く。

仏陀が水を飲んでいるとき、アーラーラ・カーラーマ(かつて仏陀が覚りを開く前、アーラーラ・カーラーマを師として、苦行、難行を行ったが、覚りを開くことができなかった)の弟子であるブックサがクシナーラからパーヴァーに向かって歩いて来て、仏陀に出逢う。
ブックサは、仏陀の心静かな姿に感銘を受け、話かける。仏陀の心静かな境地を聞くにおよび、ブックサは仏陀への帰依、修業僧への帰依を誓い、在俗信者として受け入れられる。

ブックサが去ってまもなく、仏陀はアーナンダに告げる。今夜遅くに、クシナーラのウバヴァッタナにあるマッラ族の沙羅(サーラ)林の中の、二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間で、自分は完全な死に至ると。

仏陀とその弟子達、修業僧達はカクッタ−河に至る。仏陀は河につかり、水を飲み、河を渡り、マンゴー樹の林に赴く。そこで仏陀は全く疲れ切った姿でよこになり、またもアーナンダに告げる。鍛冶工の子チュンダが、もし自分の差し出した供養の食物を食べて仏陀が亡くなったと後悔するようなことがあったら、そうではないと。チュンダの行った供養は利益があり、大いに功徳があると、仏陀から直接聞きうかがったと伝えなさい。何故なら、この供養の食物を食べて、仏陀は無上の完全なさとりを達成し、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入ったのであると。

クシナーラーでの入滅と火葬
ついに、仏陀とその弟子達、修業僧達は、ヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナーラーのマッラ族のウバヴァッタナに至る。仏陀は二本並んだサーラ樹の間に横になる。その時、沙羅双樹に時ならぬ花が咲き、天のマンダーラヴァ華と栴檀の粉が虚空から降り注ぎ、天の楽器が虚空に奏でられ、天の合唱が虚空に起こる。仏陀は言う。

十方の世界の神霊達が私に会うためにこの周囲に集まっている。そして、「尊師がお亡くなりになるのがあまりにも早い」と言って泣いていると。しかしそれらの神霊達は、情欲を滅ぼし尽くし、こころに念い、よく気をつけているので「つくられたものは無常である。滅しないということがどうしてあり得ようか」と言いながら耐え偲んでいた。

アーナンダが最後の質問をする。「尊師が亡くなったあとは、誰に仕えればよいのでしょうか」。仏陀は言う。信仰心のあるまじめな人が訪ねて見て感激する場所が四つあると。
■ 仏陀が生まれた場所
■ 仏陀が無上の完全なさとりを開いた場所
■ 仏陀が最初に教えを説き始めた場所
■ 仏陀が煩悩の残りの無いニルヴァーナに入った場所である。

アーナンダがさらに聞く。「わたしたちは、女性に対してどのように対応すべきでしょうか?」。仏陀は言う。「見るな。見てしまったときには話しかけるな。話かけてしまった時には、つつしんでおれ」と。

さらに仏陀はアーナンダの質問に対して、自分の死後、遺体は火葬に付すこと、自分を礼拝するには、ストゥーバ(土を盛りあげてつくった死者を葬るための塚)をつくって礼拝すること、遺骨は信者達が供養(礼拝)するので、弟子達、修業僧達は遺骨の供養(崇拝)にかかわらないことなどを指示する。

アーナンダは、住居に入って号泣する。仏陀は、泣いているアーナンダを呼んで言う。「やめよ、アーナンダよ。悲しむな、嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか。−−すべての愛するもの、好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか」仏陀はさらに、アーナンダが自分によく仕えてくれたことを感謝し、アーナンダには四つの徳があると修業僧達の前でほめたたえる。

アーナンダは仏陀の指示でクシナーラに入り、マッラ族の人々に、仏陀が今夜亡くなることを伝える。マッラ族の人々はすぐに仏陀のもとを訪ね、最後の敬礼をおこなう。

クシナーラに住む遍歴行者スバッダが、仏陀がその夜亡くなると予感し、仏陀から直接教えを説いてもらうために、仏陀のもとを訪ねる。アーナンダは死の直前にある仏陀に会わせることはできないと拒む。アーナンダの拒絶に対してスバッダが三度面会を申しでたとき、仏陀はそれを聞いて面会を許可する。スバッダは、名声のある6人の宗教家について、彼等の評価を仏陀に質問する。仏陀は、直接その質問には答えず、八正道を実践する以外にさとりへの方法はないと説く。スバッダは感銘し仏陀への帰依を申しでる。仏陀は異教徒が戒律を受けるには四ヶ月の別居修業をおこない、その後完全な戒律を受けさせることを許可する。スバッダは、仏陀の最後の直弟子となった。

仏陀は、最後のことばを残す。「わたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前達の師となる。わたしがいなくなってから後悔することのないよう、仏陀と、法と、集と、道と、実践に関して疑問があれば質問しなさい」
(教え=法、戒=行うべきこと、律=行ってはならないこと)
五百人の修業僧達は、黙っていた。仏陀は言う。 「この五百人の修業僧は(最後の修業僧でも)聖者の流れに入り、怠惰なく、必ず正しいさとりに達する」と。

ついに仏陀はニルヴァーナに入る。
初禅(第一段階の瞑想)から第二禅、第三禅、第四禅を経て、空無辺処定、識無辺処定、無所有処定、非想非非想定、滅想受定に入る。さらに、非想非非想定、無所有処定、識無辺処定、空無辺処定を経て、第四禅、第三禅、第二禅、初禅に戻る。さらに第二禅、第三禅、第四禅を経て完全なニルヴァーナに入る。

尊者アヌルッダとアーナンダは、その夜じゅう法について説いた。翌朝早く、アーナンダは、クシナーラのマッラ族の人々に訃報を伝える。マッラ族の人々は、6日間にわたり仏陀の遺体を供養したのち、7日目に、尊者アヌルッダとアーナンダが指示した方法によって仏陀の遺体を火葬しようとしていた。ちょうどそのとき、尊者大カッサパとその修業僧達五百人がパーヴァーからクシナーラに向かっていた。彼等が仏陀の火葬の場に到着し、仏陀の遺体に礼拝し終えたときに、火葬の薪が自然に燃え出す。

遺骨の分配と崇拝
遺骨は、ドーナ・バラモンの仲裁によって次の八つに分配され、それぞれがストゥーバに祭られた。
■ マガダ王国のアジャータサットゥ王(ヴィデ−ハ国王の女の子)がラージャガハ(王舍城)に祭る
■ ヴェーサリーに住むリッチャビ族がヴェーサリーに祭る
■ カピラ城に住むサーキャ(釈迦)族がカピラ城に祭る
■ アッラカッパに住むブリ族がアッラカッパに祭る
■ ラーマ村に住むコーリヤ族がラーマ村に祭る
■ ヴェータリーヴァに住むバラモン達がヴェータリーヴァに祭る
■ パーヴァーに住むマッラ族がパーヴァーに祭る
■ クシナーラに住むマッラ族がクシナーラに祭る

遺骨の他に、次の二つのストゥーバがつくられ、祭られた。
■ ドーナ・バラモンが遺骨を納めるための瓶のストゥーパをつくって祭る
■ ピッパリ林に住むモーリヤ族がピッパリ林に灰を納めたストゥーバをつくって祭る

−−完−−

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